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Olive Tree for Peace / Seigen Ono(OMCA1110)

¥3,143 税込

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Olive Tree for Peace / Seigen Ono(SACD Hybrid1枚組)

TITLE: Olive Tree for Peace
ARTIST: Seigen Ono
ART DIRECTOR: Tsuguya Inoue (BEANS)
MUSICIAN:
Seigen Ono, Valerie Koehn, Carrie Cooper, Kyoko Kishikawa, Koji Abe, Cokky, Satoshi Ishikawa, Gennoshin Yasui, Issei Igarashi, Hanabi and Yuki Ono, RYEKA, Etsuko Tsunoda, Hiroko Takeuchi, Yayoi Yula, Silvia Vesco, Estelle Bauer, Hirofumi Mizuno, Neko Saito, Joao Parahyba, Toninho Ferragutti, Mane Silveira, Satoshi Ishikawa, Issei Igarashi, Het Dametje, Evelyne Bennu, Febian Reza Pane, Shinichi Sato, Nao Takeuchi, Hidenori Midorikawa, Tatsuo Nagami, Jia Pengfang, Hanatemari, Mikiko Goto, Emiko Shigeta, Naoko Goto, Kuniko Kato
オノ セイゲン、 バレリー・ケイン 、キャリー・クーパー、岸川恭子、阿部浩二、Cokky、石川智、安井源之新、五十嵐一生、Hanabi and Yuki Ono、RYEKA、角田悦子、Hiroko Takeuchi、柚楽弥衣、シルヴィア・ヴェスコ、エステル・バウアー、水野 弘文、斎藤ネコ、ジョアン・パライーバ、トニーニョ・フェラグチ、マネ・シルヴェイラ、石川智、五十嵐一生、ヘット・ダメージェ、エヴリン・ベニュ、フェビアン・レザ・パネ、佐藤慎一、竹内直、緑川英徳、永見竜生、ジア・ペファン、花てまり、後藤幹子、後藤 直子、茂田恵美子、加藤訓子

TRACK LIST:
01. Olive Tree for Peace
02. Picnic A
03. Anchovy Pasta
04. Dragonfish
05. Morierimo
06. Nice to Sea
07. Maria Waltz
08. Malu
09. Nuit de la Danse
10. Bar del Mattatoio -Het Dametje version-
11. The Pink Room 2
12. Some Great Adventures
13. Tomorrow 11PM
14. Baci Paola
15. Maria Two
16. Maria One
 (SACD #17)Moere-Numa Winter
17. (SACD #18)Saidera Paradiso
18. (SACD #19)Toyo Valentine
19. (SACD #20)Picnic GL
 (SACD #21)Picnic A
 (SACD #22)Picnic HY

Composed and Produced by Seigen Ono
Mixed and Mastered by Seigen Ono at Saidera Mastering, Tokyo April 2008 to March 2009 except where noticed.

Equipment:
KORG MR-2000S (5.6MHz DSD), GML 8200 Parametric Equalizer, Sony SONOMA DSD Audio Work Station, Sony
Sampling Digital Reverberator DRE-S777. DSD mixing and mastering. Convert to Aiff via KORG AudioGate(v.1.5) to Sonic Studio SoundBlade. Monitoring PMC MB1 with Sony TA-DA9100ES

セイゲンは何人もいる。
/小沼 純一

セイゲンは何人もいる。
ここに書くのはそのなかのひとりについてだ。 だが、そのひとりのなかにもいろいろなセイゲンがちょっとずつ混じっている。 だからややこしい。
サウンド・エンジニアとしての、ミュージシャンとしての、 料理人としての、フレンドとしての、そして家庭人としてのセイゲン。 おもしろいのは、
『Olive Tree for Peace』というアルバムをはじめて聴いたとき、あたかもラジオのチャンネルを変えてゆくような多彩さを感じたことだ。
Aの局、Bの局、Cの局というふうに、実際には「曲」なんだけど、まるでラジオの局のように、違う。それも日本のじゃない、ヨーロッパの、さまざまな言葉が混線しているラジオの。ふと想いだしたのは、ヴィム・ヴェンダースの『リスボン物語』。くるまでドイツからポルトガルまで移動する、国境を越えていくあいだに ラジオはつけっぱなしで、どんどんかかる音楽や言葉が変わってくる。でも逆に、これはあくまで1枚のアルバムなんだ、
そう思いなおしたりもする。
だから、
あらためて「フォーム」を、メディアのかたちを考えあわせると、セイゲン自身が各曲をぱっと手品のように見せながら、姿を変える、かくれんぼをしているようである。
そう、
1曲1曲、セイゲンがやっていることはちがう。ギターをつまびいていることもあれば、ピアノを叩き(あるいは押し)、 プログラミングもすれば、曲を書いてアレンジをし、 あるいは何人ものメンバーにキューをだすことだってある。言い方を変えてみれば、
そう、
それぞれの曲にセイゲンはいて、
セイゲンたちがかくれんぼをして、 各曲のうちに「いる」、しっかりと目を、耳をそばだてているのである。
だから、 どこにセイゲンがいるか-----ちゃんと聴いて、こっちはあてなくちゃいけない。 ここでは何を弾いている? あそこでセイゲンは何をやってる? そんなおもしろみも、このアルバム、 三度、四度ととおすうちにおぼえるようになるのである。
これまでのセイゲンのアルバムでもそうなのだが、 何がいいと言って、 音楽が楽しい、音楽をやっているのが楽しくてしょうがない、 そのかんじだ。
それが伝わってくる。 ミュージシャンでありつつ、職業ミュージシャンじゃないと言い、 プロじゃないから、と謙遜するセイゲンは、 逆にプロじゃないがゆえの快楽を存分に味わっていて、 それゆえにこそプロじゃないことを宣言する。 ロラン・バルトが、「アマチュア」という言葉は愛するに由来して、 と書きつけるのとつうじる贅沢さが、 ブリコラージュ(=器用仕事)をする楽しみが、ここにある。
ところで、アルバム・タイトル。
オリーヴは平和の象徴として知られる。 正確には、オリーヴの枝をくわえたハトが、になろうか。 旧約聖書、大雨が世界をおおい、かのノアの方舟が浮く。 (セイゲンのアルバムに『forty days and forty nights』というのもあった) やっと陽が射すようになり、まずカラスを舟からはなすと、戻ってくる。 次にハトをはなすと、やはり、戻って来てしまう。

さらに、三度目、やはりハトをはなすと、今度はオリーヴの葉をくわえてくる。 四度目にもハトをはなしてみるが、今度は戻ってこない。 聖書以前にも、古代ギリシャにおいても、平和と無垢をこの植物は意味していた。 セイゲンは、きっと、こうした古代世界の象徴のみならず、 地中海沿岸で油といったら欠かすことのできないオリーヴをも想起していた、 していたにちがいない。
ひとが集まる場における飲むこと、食べること、
その潤滑剤としてのオリーヴ。
もちろんそこには言葉があり、会話があり、
さらに音楽がごくごく自然なものとしてわきおこる。
その場その場で、異なった料理があるように、
集まるひとが入れ替わって、音楽のスタイルも変わる。
それが、『Olive Tree for Peace』での、さまざまなミュージシャン、 ミュージシャンたちの友愛であり、 言葉、飲食、音楽が一同に会した、セイゲンの抱いている平和への志向だ。 セイゲンはこんなふうに言うのである-----オリーヴ・オイルとアンチョビ、ガーリックがどんなに大切か。 エコも大切だけど、音とか味とか、(心とかも)インヴィシブルな本質をシェアすることは 人にとって大切で、戦争なんかしてる場合じゃないんだ、と。
アルバム・タイトルにもとられている
《Olive Tree for Peace》が最初にスピーカーからひびいたとき、 そうか、こう来たか、と思わず笑みがこぼれてしまった。
Sony からリリースされた動き、ダンスをするスピーカー、Rolly を 10 台もセッティングして、 バレエを踊らせる、というプロジェクトをセイゲンは 08 年の夏前に集中してやっていたのだが、 その音楽がこれだった。
異なった色を発しながら、バレリーナのように動くタマゴ型の Rolly と 女声が反復的に重なり、厚みを持ってゆく、 エコーがかかって、リズムが生まれてくる-----そのさまを否応なしに想いおこしてしまう。 これはまあ、個人的なことなのだけれども、
あるいは《Picnic》、
子どもたちがうたうマイナーのメロディが、ふうっとメジャーに変わる、 しかもくりかえしていくうちに、その発音し、発声してゆく子たちのうきうきした感情が メロディの「はずれ」を生んでしまって、それゆえにかえってぐっとせまってくる音楽の力。 あるいは《Anchovy Pasta》の、左右のスピーカーから聞こえてくる イタリア語とフランス語の、パスタのレシピをただ読みあげているだけなのに「音楽」としてひびき。 あるいは、残響音がたっぷりひびく、ピアノによる、 静かな、アロワナが水中を所在なげに浮いている、
不思議な時間感覚の《Dragonfish》。
不器用にひびかないでもないアコースティック・ギターの、 きゅ、きゅ、っと左手が絃に、フレットにこすれ、 指が「そこ」にあることをひじょうに触覚的に感じさせられる《Morierimo》。 弦楽アンサンブルとアコーディオンが、異なった音色のなか、 すーっと単旋律からちょっと対位法的にからみあう《Maria Waltz》。 1曲1曲の、それぞれの聴きどころを記していったらきりがない。 大事なのは、こうしたすべてのどこかにセイゲンがいて、 如何に多様であろうとも、セイゲンの好みとセイゲンの世界観があり、 セイゲンが楽しみながら、かつ、ひとにも一緒に楽しんでもらえることを望み、 げんに多くのひとにはそれがうんうん、そうだよ、そうなんだよと肯定される、 そんな音楽世界がアルバムとして結実している、ということだ。 そう、その意味で、何とまあ、贅沢な、セイゲン自身が気をつかった、 つかってくれたアルバムであることか。
じゃ、あらためて、このアルバムにグラスをあげよう。 シェリー? それともワイン? グラッパはまだ早すぎる。 もっと聴きこんでからでなくちゃ。 コーヒーはといえば、朝までおあずけかな。


そこにまた夢は生まれる
/青木和富

オノ セイゲンといつ出会ったのか思い出せない。そんなことどうでもいいのだが、いつの間にか、姿を 見かけるとやあやあと、話に花が咲く間柄になっていた。こないだばったり会ったのはブルーノート東京 のロビーで、会うなりソニー製ロボットRollyを取り出し、クロークのカウンターテーブルでデモをやって 見せてくれた。カウンター嬢と私は音に合わせてプログラムされダンスするその小さなロボットに魅せら れ、子供のように笑ってしまった。昨年モントルー・ジャズ・フェスティバルでこのRollyのショーをやっ て大好評だったというが、そうだろう、そうだろう。オノ セイゲンはいつだって楽しいことに夢中で、そ れを共有したい人間なのである。で、その別れ際、近々出すアルバムの文章を書いてくれる?と頼まれた。
それから約半年後、すっかり忘れていたが、突然電話がかかり、約束を思い出した。で、今、これを書 いている。オノ セイゲンはちゃらんぽらんな私と違って、コンピューターのような綿密な記憶、頭脳の持 ち主でもある。
オノ セイゲンに実際会ったのは、おそらく20年も前、川久保 玲のコム デ ギャルソンのショーのオリ ジナル音楽を担当し、それがCD化されたときだったろう。むろん、それ以前に録音エンジニアとして知 られていたから、もっと前に会っていたかもしれない。繰り返すがいつが最初かはどうでもいい。とにか くとても綺麗な録音をする若いエンジニアが、突然、ミュージシャンとして出現したことは衝撃だった。 しかもとんでもないミュージシャンたちを従えて...。一体どうなっているのか不思議だった。
それからいろんな場所でオノ セイゲンと会い、談笑を重ねていくうちに、この不思議な人間が少しづつ 分ってきた。演奏家と言っても、オノ セイゲンはさほど技量があるわけではない。ギターが彼のメインの 楽器だが、早弾きできるわけではないので、そこは勘弁と笑う。難しいアンサンブルもミュージシャンに お任せということもある。だから、プロの演奏家としての実力がないんじゃないかと疑われる。実際、ぼ くも最初はそんな誤解をしていたことを告白しておきたい。
ところが、あるとき、乱暴な言い方だけれども、こうした技術とか理論的なことは、実は音楽それ自体 とあんまり関係がないんじゃないかと気がついた。むしろ、理詰めで組み立てられ、また演奏された音楽 は、特定のフレームの中でしか生きることはできず、結局のところ閉塞した環境で格闘するしかない。む ろん、そうであっても素晴らしい音楽は誕生するが、それはフレームを飛び越える何か、常識を越える何 かを手にしたときだ。つまり何事かをアウトしなければ、袋に袋は破れない。
専門家は保守的だという言い方もできる。世界をどんどん極めていくと、その成果の中で人は世界を見 失うというパラドックスがおきる。一度世界を掴んでしまったら、人は容易にその手を放そうとはしない。 他者を排除し、その世界を守ろうとする。プロと言われる人々は、常にその危険を背負うが、しかし、こ うしたことに気づかずに、世界はもっと面白いと想像できなければ、結局のところ、本当のプロとは言え ないように思う。
ところがオノ セイゲンは、そうしたプロとはもっとも縁遠い音楽家なのだ。音響のエンジニアになる前 にバンドで演奏を楽しんでいた経験はあるということだが、その経験の先にプロの演奏家を目指すという ことはなかった。音楽は楽しい、それ以上でも以下でもなく、へんなこだわりを捨てられたところが、多 分、オノ セイゲンの不思議なところではないだろうか。つまりそれが、プロにも勝る音楽家との仕事を積 み重ねてきた根拠にもなっている。
実際、オノ セイゲンの音楽は、どれをとっても楽しい。一つ一つの音楽は、風景やスナップ写真のよう で、その写真をオノ セイゲンは膨大な数のコレクションにしている。しかもその写真は、アマチュアのよ うで、決してそうではない。オノ セイゲンを面白がる友人の一流の技術をもった演奏家が集まり、極上の 一枚一枚を仕上げる。さらに、これが大切なのだが、オノ セイゲンの美意識がしっかりしている。録音エ ンジニアの仕事でも、独特のトーンの美しい音像を創り上げるように、その音楽も像をしっかりと切り結 び、夢のように美しく仕上げている。そう、今、気づいたがオノ セイゲンの音楽のひとつひとつは、まる で夢の記録のようだと言ってみたい。多分それは、子供の頃から想像を楽しみ、見続けてきた世界が反映 されている。
シンプルなメロディーや音列、どこか記憶の中で楽しんだことのあるリズム。夢は繰り返される記憶の 中で育まれる。プロはありふれてつまらないと捨ててしまうか、磨きをかけようとこねくり回し輝きも消 してしまうパーツも、オノ セイゲンは、その輝きをそのままに、ちょっとした(けど、大切な)化粧を施 し提示する。不思議な夢を見させてくれるこの世界の奇跡をそっくりそのまま放り投げるようにして...。

「オリーブ・トゥリー・フォー・ピース」というアルバム・タイトルは、そのままそのオノ セイゲンの 夢の世界を象徴している。地中海沿岸に繰り広がる様々な人々の物語、そして、その街や田舎の楽しい人々 の生活。平和とは、その当たり前の日々の時間の中にあるじゃないかとオノ セイゲンは言いたいのだ。戦 争は、どこを切り取ってもつまらない。これは当たり前のことじゃないかと言いたいのだ。その当たり前 の暮らしの時間を音楽が切り取り、夢のような世界と巡りあう。笑顔が自然にこぼれ落ちる。
一枚一枚の写真をつなぐストーリーはない。断片の連続。そこにまた夢は生まれる。ストーリーは戦争 を紡ぎ出すものかもしれないとふと思う。しかし、時間は流れる。その流れはオノ セイゲンの夢にあり、 そして、なだらかな記憶の時間の中で、人々の笑い声だけが聞こえてくる。懐かしい風景が行き来する音 楽だが、具体的な場所を示すものは何もない。そこは宮崎駿のアニメのように架空の街である。面白いこ とにヨーロッパで演奏すると、同じようにどこか見知らぬ他国の懐かしい風景を思い出すという。
このアルバムの中には、素晴らしい音楽の瞬間がいくつもある。中でも素晴らしいのは、子供の歌だろ う。コーラスを外れて歌い続ける子供がいる。楽しいから歌い続けるのだ。そう、そのあどけないその歌 声の向こうにある無垢な夢に驚かされるのだ。その子供は、多分、オノ セイゲンの自画像になっている。

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